どうも、佐田真人(@mst727)です。
台湾での撮影を終えて昨日帰ってきたばかりなので、毎年感じる年の瀬の空気感を今年はあまり感じません。
それでも毎年この時期に日本へ帰ってくるのは、年末の空気を日本で吸いたいからなんだと思います。好きなんですよね、年末の静けさが。
さて、今年はいろんな場所に行ったし、いろんな人たちにも出会えました。
だれかと会うたびに新しい自分に出会え、世界中に「home」と呼べる場所を持つことが、ひとつの幸せなのかなとも感じたり。
文章で伝えたいことはたくさんあるんですが、今年はたくさん撮ったので、写真で2018年を振り返りたいと思います。
1月〜3月「旅の終わりと始まり」
2018年は旅の終わりから始まり、関西でゆっくり過ごしていた。大阪や京都、奈良の地元をカメラ片手に巡る。だけどやっぱり定番は、家族の一員「ふう」の写真。
日本ですこしゆっくりしたあとは、ネパールの首都「カトマンズ」へ。着陸間際、なぜか盛り上がるネパールの搭乗客たちを見て、今までと違う国に来たことを実感。
ネパールの拠点にもなるカトマンズの「タメル」。どことなく「コロニー」という言葉が似合う。砂埃を除けばとても居心地が良かった街。
4月〜6月「インド脱出とスリランカ贅沢旅」
ネパールの次に降り立ったのは「インド」。インドといえばやっぱり、宗教都市「バラナシ」が印象的。とくにガンジス川から眺めた朝焼けが忘れられない。
「15マイルごとに方言が変わり、25マイルごとにカレーの味が変わる。100マイル行けば言葉が変わる」ということわざの通り、インドは街によってガラリと印象を変える。
IT都市「バンガロール」はそんなインドの最先端。ここでビザが切れて出国許可が降りず、悪戦苦闘の末1ヶ月後に脱出できたのは、今となってはいい思い出。
助けてくれたバンガロールのみんな、ありがとう。そのままインドを脱出して向かった先は「スリランカ」。ここへやってきたのは、泊まりたいホテルがあったのと、アーユルヴェーダを受けるため。
身の丈以上のものに身銭を切ることの大切さ、体験にお金を使うことの大切さを身に沁みて感じた旅だった。もちろん出会いはプライスレス。
7月〜9月「新しい出会い」
ちょうどインドにいるとき、株式会社Waseiの鳥井さん(@hirofumi21)から連絡があった。「Wasei Salon」なるコミュニティを立ち上げるというご連絡だった。
Wasei Salonに入ったことで、日本で会いたい人が一気に増えた。これがひとつのきっかけで、いろいろ大きく変わった気がする。
そこから先はまだ記憶に新しい。ブログをきっかけに、いろんな人たちと会えるようになったのが、この頃。
10月〜12月「勝手に十和田暮らしと台湾で初仕事」
東京での生活から、場所は変わり、青森県十和田市へ。地域と暮らしにまつわる創作ユニット「hyphen,」なるものを、6人のクリエイター仲間と結成した。
「ただいま」といえる場所をつくること。「久しぶり」といえる友人をつくること。自分以外の主語を増やしていくことが、ひとつの幸せなんじゃないかと思ったのも、この頃だった。
2018年個人的に嬉しかったことは、台湾で撮影のお仕事ができたこと。最初から最後までドラマを見ているようで、最後は僕も泣いてしまいそうだった。
なにかをやりきった経験は、これからの人生の大きな糧となる。それはやりきったことがある人にしかわからない。彼らの頑張る姿をみて、僕も勇気付けられた。
最後に
2018年の写真を振り返ってみると、今年はいろんなところにいたなあと。何気なく撮ったものも、すこし時間が経って見返すと、そのときの情景とともに蘇ってくるから、写真って面白いですよね。
この一年メインで撮影したのは、「FUJIFILM X-Pro2」というカメラ。いろんなところに連れ出しましたが、今年も最後まで頑張ってくれました。いつもありがとう。
2019年は個人的に、より心を込めてシャッターを切れたらと、思っています。写真の良し悪しはもちろん大切ですが、それ以上に気持ちの面で、楽しんで撮ることを忘れないようにしたいです。
ついでに2019年の抱負も。やりたいことはたくさんあるんだけど、まずはお金のことを考えなくてもいい生活まで、水準をあげていこうと思います。
それをTOKIORIという表現の場をすこしずつ拡張しながら成し遂げていきたい。
執筆や撮影、ディレクションといろんなことをやってきたけれど、どれかひとつに特化できないことは僕自身のコンプレックスでもありました。
写真が好きかと聞かれると、写真を専門に仕事をしている方と比べると「そう」とは言い切れないし、専門の方に申し訳なく思う。ほかも然り。
だけどいまはそれでもいいんじゃないかと思えるように。
なにか伝えたいことや表現したいことがあって、それが伝わる最適な手段はなにかと考えたときに、あるときは写真で、あるときは文章だった。
それが音楽だったら僕は音楽をやるだろうし、動画だったら動画も撮影するんだと思います。僕にとってそれらは手段のひとつ。
つまるところ、アートと社会の接点を見つけ表現することを、なによりも大切にしてきたのかもしれません(かっこよく言えばね)。
hyphen,の活動もディレクションに徹することで、個人ではできなかった世界がみんなと見れる。そんなところにやりがいを感じています。
いまは無理になにかを定めようとしないで、できることをひとつひとつ淡々とこなしていく。それが今の自分にとっては大切なのかもしれません。
さて、2018年はひとりじゃできなかったことが、みなさんのおかげで、たくさんできるようになりました。2019年は今まで以上にチームワークができたら嬉しいです。
「クリエイティブなメディアってなんだろ?」と頭の片隅で考えながら、TOKIORIを軸にいろいろとメディアを広げていけたらと思っています。
最後に、TOKIORIを読んでくださり、本当にありがとうございます。来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。
書き終えたときにはすでに年を超えてたのはここだけのはなし。
今日はこれにておしまい。
それではまた!