あけましておめでとうございます。
2020年の2月から、台湾は「台北」に移住することになりました。今回は2020年の抱負も兼ねて、すこしだけ自分のことを報告させてください。
2019年10月から働く環境を海外へ移そうと考え、そこから働きたいと思える台湾の会社を見つけ、本社に訪問させていただき働くことになりました。
なぜこのタイミングで大きく環境を変えて、台湾の会社で働こうと思ったのか。今回はつらつらと書き残しておこうと思います。
CONTENTS
海外で働きたいと思った背景
もともとは僕は新卒で東京のWebマーケティング会社で働いた後、長期で海外に旅立ち、東南アジアやインド周辺を旅していた。当時の日記にはこんなことが書いてあった。
たしかにあの頃から漠然と「世界一周の旅に出たい」と思っていた。もちろん今もその気持ちは変わらないのだけれど、どちらかというと「行かねばならない!」という使命感に似た感覚の方が強い。 自分を客観的に見て、面倒なやつだと思う。でもひとつ確かなことは、この旅を終えないと、次には進めないということだった。 空港までの道のりは、妙な不安に駆られていた。このセンチメンタルな感情は、どこから来るんだろう?たぶん、自分の人生のひとつの章が終わり、新たな章が始まるからかもしれない。
この旅を一旦終え(正確には中断中)思ったことは、やっぱりやってみないとわからないということだった。
長期の旅に出なければ、いつまで経っても憧れを憧れのままに、淡く引きずり人生を終えてしまっていたかもしれない。
そんな旅の道中、インドのシリコンバレーと呼ばれるIT都市「バンガロール」で働く人たちとお会いしたことで、明確に感じたことがあった。
一消費者としてではなく、自分が当事者、つまり生産する側の人間として、世界中の人たちと関わりたいという思い。 高校生の頃から、漠然と日本と海外の架け橋になりたいと言っていたけど、このタイミングでまた振り出しに戻ったのかと、どこか懐かしくなった。 ただ自分が何をもってどう関わっていくのか。そればっかりはポッカリと穴が空いたような感覚で、まるで見つからなかった。
そんな気持ちがずっと頭の片隅に残りつつも、日本へ戻りいろんな人たちと出会った。なかでも、フリーランスで「hyphen,」というチームで動いた経験は、働き方に大きく影響受ける出来事だった。
2018年から2019年は日本のさまざまな地域で暮らし、雑誌を作ったり、イベントをしたり、改めて暮らし方を見つめ直すことが多くなった。
そして、雑誌の制作を終え一区切りついたところで、これから自分が数年かけてやりたいことは何なのかと、ふたたび自問自答し始めることになる。
なにを持って海外に出るのか
会社を離れると、フリーランスの人と関わることが増えた。そんなときに感じるようになったのは、個々の可能性がありながらも、自分の可能性を拡げ、社会としっかり接点を持っていけてる人が少ないことだった。
だからこそ、いつの間にか自分が個人や企業、社会を繋ぐ、歯車になれないかと考えるようになった。そんな自分の存在意義に気づかせてくれたのは、フリーランスの仲間と組んだ「hyphen,」の活動が大きい。
会社で働いていたときは、お客様の問題解決、いわゆるユーザーファースト100%な思考と働き方だった。ただ、hyphen,でやってきたことは、僕らが創りたかったものを創り、そこからどう社会と関わりを持っていくか。
つまり「好き」と「社会」をどう繋ぐかという視点が大切だということに気づいた。ときには仲間のクリエイターとぶつかり、納得いくまで話し合うこともあった。
これはなにも僕らに限らず、至る所で起きている。個人の世界になったとき、自分に求められたのは、「クリエイティブを理解しつつも、しっかりと社会に伝えていける力なのではないか?」と考えるようになった。
そして個人、企業、社会がボーダレスに繋がり、手を取り合っていける文化を醸成することが、僕のミッションであり、同時に自分の喜びに繋がるのではないかと。
思い返せば、高校の頃はバンドマンに憧れつつも、音楽をビジネスにできるマネージャーという職業に興味があったし、中国へ留学したときに、人はエンタメの力で心ひとつになれる瞬間があると確信した。
結局この頃から僕は、「好きなことや得意なことを活かし、ボーダレスに手を取り合える文化を醸成したい」と薄っすら思っていたのかもしれない。ただそれ以外の人生に折り合いをつけることができなかっただけなのだ。
だけどここにきて、ようやくそれが自分のキャリアミッションなのではないかと考えれるようになった。これを言語化できたのが最近の話。ここ2年はずっと潜水している感覚だったのが、ようやく沖に上がって来れそうな気がした。
台湾で働くことを決めた理由
ここからじゃあ具体的にどこで、何を、どうしていくのかを考える必要がある。2019年の10月頃から転職活動を始めてみた(といっても本当に働きたい会社にDMしたぐらい)。
転職活動の経験値はゼロなので、何をどうすればいいか分かっていないのだけど、自分の直感に従って動いていれば、何とかなる気がする。こればかりはタイミングとかもあるからね。
そんななかで働きたいと思えた会社が、台湾の会社だった。2019年12月に撮影の仕事で台湾に行くことが決まっていたので、そのタイミングで何とか面接を終えて内定をもらいたい。
そんな思いがあり気合で乗り切り、働かせてもらうことになった。ここの様子はYouTubeでも撮っているので、もし良かったら見てみてください。
実は台湾とは何かと縁があって、大学卒業後に、初めての台湾一周したのがもともとの始まり。そのときに出会った人たちからいろいろ台湾の食やカルチャーに教えてもらい、ますます台湾のことが好きになった。
そこから何度か台湾には訪れていたが、2018年と2019年に初めて仕事で台湾で行くことになる。
そのときに初めて台湾で生活してるイメージができた。そこから2019年の高雄で台湾の仕事を終えて、そのまま台北の会社に面接に向かい今に至る。潜在的に台湾に惹かれていたのかもしれない。
大学生のとき初めて台湾に訪れたとき、台南のゲストハウスで出会った友だちと、7,8年ぶりくらいに再開したときの動画。当時バイクで台湾一周していた彼に、台湾のおすすめのバーに連れて行ってもらっていろいろと話をした。当時の想いをいま実現していてとても尊敬している人。
2020年の抱負
さて、2020年の話を。と言いつつも、まだ来月からどんな感じになるかあまり想像できません。想像できないものを語っても仕方ないのですが「今年はこれを頑張るぞ!」というものを3つ。
①会社で圧倒的な結果を出す
ふたたびサラリーマン、それも中途入社かつ海外なので、まずは見える形で圧倒的な結果を出す。まずはここ。失敗を恐れずにやりきる。
②YouTubeのチャンネル登録者数:10,000人
海外の友だちに自分のことを伝えたいと思って始めたYouTube。YouTuberが密接に関係している会社ということもあり、自分のチャンネルもしっかり伸ばしたいなと。
③ビジネスに困らないレベルまで中国語と英語を身につける
社内の共通言語が中国語なので、毎日やることを習慣付けて勉強。こればかりは継続あるのみなので、アウトプットを躊躇しない。中国語を英語で勉強できる環境を作るのがベストだなあ。がんばるんば。
あとは台湾で東京見たく楽しい生活ができるように、暮らしの圏内を広げていくことですね。せっかく台湾にいるので、いろんな人や場所を出会えたらなと。台北在住の方も、ぜひお会いしましょー。
最後に
という感じで、いまは就労ビザの手続きや、台北の家探しやら、さっそく中国語のやりとりでてんやわんやしてます。
もしこの記事を読んでくださった方が、台北に来られることがあれば、ぜひお気軽にご連絡ください。もし良ければゆっくりお話ししましょー。
最後に、このブログ「TOKIORI」についてですが、マイペースに続けていこうと思います。自分の好きなモノコトや台湾生活についても、あまり力まず自由に書いていけたらと思います。
YouTubeチャンネル「TOKIORI」も、ぜひご登録していただけると嬉しいです。それでは、2020年もよろしくお願いいたします。
【2020/1/17追記】
できることなら慣れ親しんだ東京を拠点に働きたい。自分にとって心地いいコミュニティがあるし、いつだって会いたい人に会える。できることなら今の環境を変えたくないよなあって毎度ながら思う。
ただ、それでも自分が慣れ親しんだ環境を抜け出すのは、それが自分にとっての成長だと信じているし、同じ目線でずっと語りたいと思える人たちがいるから。一人だけど独りじゃない感覚というか。成長を実感できなかったり、自分に飽きてしまうのがいちばん怖い。
これは自分のエゴかもしれない。だけど、学生のころ漠然と夢見た理想像に折り合いをつけて歩みを止めてしまうのは、まだ早い。まだまだいけるよって言いたい。すこし先の自分がワクワクする方へ。