北海道下川町から東京に戻り、1ヶ月ほど経ちました。ほんの数日で花粉症発症です。目薬とティッシュが手放せなかったのですが、最近やっと落ち着きました。
もうひとつ東京へ戻り、実感したのが、膨大な広告たち。目や耳に、いろんな情報が雪崩のように流れ込む。ふだん情報の海にいることを、再認識しました。
それはそれで刺激的だし、都会の好きなところでもあるんですが、田舎出身の自分としては、そっと抜け出したい気持ちになります。それをうまく解消してくれるのが、行ったり来たりの生活。
行った場所の良さも、戻ってきた場所の良さも、両方実感できるから楽しいんです。だから、世界中に拠点とかあったらいいなあと思ってます。いつになることやら。
さて、前置きが長くなりました。下川移住体験記、後編です。下川町で暮らした3週間、とぎれとぎれに感じたことです。
参照:東京から北海道へ。下川暮らし、はじまります|下川移住体験記【前編】
CONTENTS
下川はノイズがない町
北海道より東京の方が寒い。
北海道出身の同期が、よくそんなことを言っていた。そのときは半信半疑で聞いていたけど、いまなら「うんうん」とうなずける。
たしかに東京の方が寒い。
数字的にはマイナス20度を下回ることもある下川。だけど、風が吹かない日中は、東京よりずっと過ごしやすかった。
響くのは雪の上を歩く足音だけ。歩みを止めてみると、静かな空気が漂う。背の高い建物がないせいか、空との距離が近く感じた。
空との距離が近いのは、地元奈良も一緒で、とても親近感が湧く。その言葉がすっと入ってきたのは、たしか堂本剛さんの言葉だった。
奈良の平城宮跡を歩きながら、「空との距離が近いから好き」と言っていた言葉を、ずっといまも借りている。
空を見上げると、自分の悩みなんてちっぽけなものだと思えてくる。モヤモヤした気持ちをポイで救ってくれるような、そんな感覚に包まれる。ここ下川は、空の青が、とても綺麗な町だった。
下川にはノイズがない。「うるさくない」とはすこし違う。これまで聞こえてなかった「小さき声」に、耳を傾けられる環境のことをいうんだと思う。
風が目の前を横切る音、すぐ近くで水が流れる音、遠くから聞こえる子どもの遊び声。その場所には、そこにしかない音がある。
ここに来るまでは、長い道のりだ。その過程で、耳を傾ける心持ちが整うのかもしれない。季節を跨ぐと、どんな音が聞こえるのか、気になった。
よそ者
よそ者である。
どんな場所に行くときも、意識すること。だから、訪れた場所にどう溶け込むかは、意識する。打算的な話ではない。
どうすれば人と会えるとか、どんなお店がいいとか。暮らしの圏内を拡げるのは、旅のささやかな醍醐味だ。
この町は、僕のような「よそ者」であっても、自然と溶け込めるような場所が、たくさんあった。
町の規模がコンパクトで、自然と歩み寄れるような距離感。いつの間にか、自然と声をかけてくれるような、そんな関係性が、心地よかった。
町の規模が変わると、町の雰囲気や、人との距離も変わる。下川は、ひとつの小さな国におじゃましているような感覚だった。
下川は内省できる町
朝、窓から指す光に起こされる。音に起こされるより、目覚めがいい。
歯を磨きながら、そのあいだに、やかんで湯を沸かす。スーパーで買ったカステラに、湯呑み一杯のコーヒー。
朝をゆったりと堪能しながら、時間の流れを楽しむ。幸福感があがった気がした。
毎日昼ごはんを準備してくれる人がいて、夜まで各々作業を終えると、ふたたびみんなで食卓を囲む時間があった。
丁寧な暮らしの基盤は、規則正しい生活と、ともにあるのだと自覚した。
自分を変えたければ、環境を変えよう。その言葉どおり、暮らす街によって僕らの暮らしの感じ方も変わる。これだから、僕はまだ、旅をしたい。
下川に暮らしている間、ゆっくり自分のことを考える時間や、みんなと話すことが多かった。雪景色を見ながら、1日仕事をした日。深夜、インスタントラーメンを食べながら、語った日。
そんな日々を振り返りながら、下川は、内省するのに適した町だと思った。
自然に囲まれた環境がよりそう思わせるのか、これまでの生活で、いつの間にかこぼれ落ちていた気持ちを、取り戻した気がした。
北海道上川郡下川町は、東京から10時間ほどかかる。10時間もあれば、インドまで行けてしまう。
なにかきっかけがないと、ふらっと来れる場所ではない。それでもまた、みんなで何かしらの理由をつけて、来るんだと思う。
雪がひらひらと地面に落ちていく。ただそれだけだけど、美しい。#勝手に下川暮らし pic.twitter.com/N0EsTFGaXW
— サタマサト|TOKIORI ☔️ (@mst727) March 2, 2019
▼これまでの下川移住体験記