ミャンマーの滞在期間は特に決めていなかった。けれど自分でも驚くほど潔く、帰りのチケットを購入していた(おまけに日本行きのチケットも)。
バガンでの目的を果たしたこともあるが、ゆったりとしたこの環境に沈んではいけない、そんなことを思ったのかもしれない。
ヤンゴンからバガンまで来た道を、また同じようにバスに乗って戻る。片道9時間ぐらいの移動なら、もうなんてことはない。
翌朝到着したヤンゴンのバスターミナルは、すでに見慣れたせいか、どこか根拠のない安心感があった。
次の日にはまたタイに戻るので、今日はヤンゴンの街を散策しようと思う。早朝5時、いつも通りの「Where are you going?」に、今日は素直に答えた。
まずは大きなバックパックを手放すために、今日泊まるゲストハウスに向かう。最初に泊まった宿は散々だったので、すこしばかり不安だった。
最悪水シャワーでもいいから断水だけは避けたい…!
今日の予定は3つ。
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- 原稿を書き終えるためにWi-Fiが早いカフェに行くこと
- ヤンゴンのストリートスナップを撮ること
- 黄金に輝く寺院「シュエダゴン・パゴダ」に行くこと
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決めたルールはひとつ。徒歩で行くことだ。その街を知るにはやっぱり、歩くことが一番なのだ(ともっともらしい理由をつけつつも、単に所持金が残り少なかった)。
背中に担いだバックパックを、まだ薄暗いドミトリーのベッドにおろし、決して早いとは言えないWi-Fiにアクセスする。
カフェまでの道のりは約50分。ちょうど今から歩いたら、朝の9時ぐらいに着くのかな。朝のbreakfastを楽しみに、さっそく外へと繰り出した。
ヤンゴンのストリートを歩き、最初に感じたのは「なんか違う」だった。同じ東南アジアでもこんなに違うものなのか。
例えるならば、どこか不器用でトゲトゲしてるけど、秘めてる情熱は計り知れない感じのヒト、とでもいうのか。
とにかくヤンゴンのストリートは、暮らしが前に出すぎているのだ。
いつ崩れてもおかしくない建物に、無数のケーブルが垂れる電信柱、どう考えても歩くのに邪魔な歩道の売店に、どこからともなく現れる移動商店。
ウチとソトの境界線はあってないようなもので、衣・食・住に加えて働も、すべてがヤンゴンのストリートに凝縮されていた。
ずっとここにいたら身体がもたない。結局路地を通りきることができず、引き返してしまった。
それほどまでになにか、衝撃に近いようなエネルギーが集まった場所だった。
ほぼ予定通り1時間弱で到着したカフェは、都会の喧騒とは隔たれた、居心地の良さを感じる空間だった。
入り口のドアを開けた瞬間、これまで聴こえていた都会のノイズが遮断されたような、それはまるで別世界に来たようだった。
程よい照明の明るさに優しく漂うコーヒー豆の香り、ミャンマーに来てからはじめて入る”店内”のカフェに安堵した。
ほっとひと息つける空間をこんなにも求めていたなんて、とにかくここ1週間、ずっと身体が緊張しっぱなしだったのかもしれない。
マスターの優しく語りかける日本語が身体に染みる。よーく耳をすませば他の席からも日本語が聞こえてきた。
このときばかりはずっと、日本語をBGMとして聴いていたくなった。
居心地の良さに甘えてしまい、気づけば日が沈むまで、長居してしまっていた。
旅を安心して楽しむコツは、自分の居場所を見つけることだと、今回の旅でつくづく実感した。
ミャンマー最後の夜は、黄金に輝く寺院「シュエダゴン・パゴダ」にやって来た。てっきり広い公園にドッシリと構えているのかなあと思ったのだけど、どうやらそうではないらしい。
入り口と思われるところでスニーカーを脱ぎ、裸足になって黄金の一本道をまっすぐ進む。素足で登るエレベーターは、なんだか新鮮でおもしろかった。
登った先に見えたのは、文字通り”夜空に輝く黄金の寺院”だった。夕方に降った大粒の雨のせいか、いつもより一層輝いている気がした。
人々が祈る姿は美しい。
タイ・チェンマイのコムローイ祭でも感じたことなのだけど、なにかを信じるという行為はとても美しいものなんじゃないか。ひたむきに祈る子供たちの姿を見て、改めてそう感じた。
観光スポットに行くのはどうも腰が重くなる。すでにネットで見た写真の場所にわざわざ行く必要があるだろうか、と思ってしまうときがあるのだ。
ときおりネットの写真の方が見映えが良かったりするからか、実際訪れてみて「あ、こんなもんか」と思ってしまうことも少なくない。
それでもやっぱり来て良かったと思えるところがあるのは確かだ。そこに行かないとわからない匂いや空気感、写真に映る事のない世界を感じることができたとき、やっぱり行って良かったなあと思う。
シュエダゴン・パゴダは、まさにそんなところだった。
ミャンマーの朝と夜は、他の国と比べて早かった。大抵旅人は起きるのが遅いが、ミャンマーにいた旅人はなぜか早かった。
この日は朝6時に出ないといけなかったので、昨日バスターミナルから送ってもらったタクシードライバーに迎えに来てもらった。
彼は23歳妻子持ち、加えてイケメンの好青年。完全に負けた気がした。いつも朝5時には起きて、6時には仕事を始めるという。
運転中も「日本の車がどれだけ好きか」を熱弁してくれた。ミャンマー滞在期間中、とにかく日本車の話はたくさん聞いたなあ。今回もまた気持ちよく出国できそうだった。
ヤンゴンの街の魅力は、今まさに成長してるがゆえの、アンバランスさとエネルギーにある。つぎ来るころにはどれだけ街並みが変わっているのだろう。そんなことを想像しながらタクシーの窓から街を眺める。
ヤンゴン国際空港に到着し、彼と固い握手を交わしたあと、ミャンマーともさよならした。
朝焼けに照らされたバガンの遺跡も、ヤンゴンの夜空に輝く黄金の寺院も良かったなあと思いを馳せながら、またつぎの街へと目指す。
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ミャンマー旅行記①:深く沈んだ空が、淡く染まり始めるまで【ミャンマー旅行記①】
ミャンマー旅行記②:なんかいま、猛烈に旅してる【ミャンマー旅行記②】
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