【堂本剛 東大寺奉納LIVE 2018 感想】奈良の空のもと音を鳴らしていたのは、紛れもなく、純粋無垢なギターのおじちゃんだった。

すこし前まで降ってた雨が止み、空が晴れていく。雲と雲の隙間から、すこしばかり見えた青空に、ほっとする。このために東京から奈良に戻ってきた。

「堂本剛 東大寺奉納LIVE 2018」。

ご縁あって今回譲っていただいたチケット。まさか地元の奈良で見れるなんて、思ってもみなかったので、本当に嬉しかった。

太陽が沈み、鈴虫が泣き始めた、18時半頃。すこし騒がしかった東大寺周辺も、中に入ると別世界。優しい音色が、会場全体を包み込む。

故郷の奈良で紡ぐ、彼らなりの奉納演奏

ゆっくりと確実に、一音一音噛み締めて音を鳴らす様子が伝わった、一曲目「ラカチノトヒ」。

たしかに目の前で堂本剛さんが演奏しているのだけど、ちゃんといまの音に追いつけたのは、バスドラの音が胸に響いたときだった。

彼の歌声すらも、音楽のひとつを担う楽器のように、聞こえる。

演奏中もメンバーに、細かくセッションの指示をする。だれかが際立つのではなく、彼もミュージシャンも、ひとりひとりの音が共鳴し、ひとつの音楽ができていた。

もはやファンクがどうとかじゃない。これが、故郷奈良で紡ぐ、彼らなりの奉納演奏だった。

ギターにベースと、器用に楽器を変えては、音を表現していく。彼の鳴らすギターに “いのち” を感じるのはなぜだろう。

一心不乱にギターをかき鳴らす彼もカッコいい。だけど今日の彼は、一音一音確実に届けるんだという覚悟が伝わってきた。

なにを思いながら、いま演奏しているのだろう。そこまではわからない。だけど、彼のギターはたしかに泣いていた。

最後の楽曲、予定になかった「街」

奉納演奏、おそらく今日しか見れないもの。彼の声が際だって表現された曲も、あまりなかった。だけどラスト、唐突に流れるピアノ演奏。彼がそっと歌い始めた。

「街」だ。

彼が歌い始めた瞬間、身体が震えた。僕だけじゃなかった。他の人たちも同じだった。泣いている人たちがたくさんいた。

彼を知っている方なら、どれほどの想いを曲に込めてきたかは、誰もが知ることだ。とりわけ「街」は、彼の中でも特別思い入れのある曲である。

だから。

彼が最後の大サビ、「このカラダ まだいけるさ」の部分で涙を流したとき、不思議と彼のこれまで抱えていた気持ちが、洗われていくように感じた。

その圧巻の姿に圧倒される自分。嗚咽が聞こえ、目の前で泣き崩れる人たち。会場の誰もが、それぞれの想いを感じ取った瞬間だった。

冒頭から最後の最後まで、緊張が解けることのなかった舞台。彼が最後のMCで話し始めたとき、ようやく緊張がとけたように思う。

そこにいたのは、僕の知る、堂本剛さんだった。

「街」は予定になかった曲だったらしい。だけど周りの人たちが「歌ってもいいんじゃない?」と言ってくれたのだそう。彼は誰に向けて、この歌を歌ったのだろう。少なくとも、むかし奈良に残した自分自身に、歌ったように感じた。

「奈良はとても静かな場所なので、どんなステージにすればいいか迷ったけれど、中途半端が一番良くない。自分なりの表現をみなさんに目撃してもらう形でやらせていただいた」

そう語る彼のひとつひとつの言葉から、東大寺奉納演奏にかける想いが伝わってきた。

心で対話したい、彼はそう言った

心で対話したい。彼の口から、なんども出た言葉だった。

言葉はすごく怖いもの、と前置きした上で、東京にいると、めんどくさいやつだとか、わかってもらえないことが多い。そんな中で、人と心で対話することが怖くなったのだと、心境を吐露する。

最初は、東京でも心で対話できると自信があった彼も、頭で会話する人たちに負けてしまって、自分の心が壊れてしまった。そして奈良に帰って、そんな思いを空に預けていたと、当時を振り返る。

さみしげな言葉の中に、彼の純粋無垢な心が、垣間見えた。

人生は一度きり、悔いのないように生きましょう。それは我儘になることではなく、まずは自分の色彩を認識すること。色彩に気づくことで、世界は驚くほど開けるんだと、続ける。

彼も密かに、まだこれから出会えるであろう色彩を、楽しみにしているんじゃないか。彼の言葉は自分にも言い聞かせているような気がした。

堂本剛 東大寺LIVE 2018の終わりに

普通の一人の人間として、ここで亡くなりたい」という彼の言葉が、心に残る。

彼にとって、故郷奈良が特別なのは、いうまでもない。もしかしたら唯一、ここ奈良が、本音をさらけ出せる場所なのかもしれない。

「奈良は静かなところなので静かに帰ってくださいね。夜道は暗いので溝にはまらないようにね」

最後にクスッと笑ってしまうような、相変わらずの剛節に安心感を覚えた。

彼は知人の子供から、ギターのおじちゃんと言われているらしい。僕にとっても“堂本剛”は、最高にかっこいい「ギターのおじちゃん」だった。

これからも歳を重ねる彼の姿を、見続けていきたい。奈良の音が聞こえる夜道、堪えていた涙が、時間差で溢れた。

最後に

ライブ終わり、できるだけ感じたことを文章に留めたく、すぐさまスマホに、文字を詰め込みました。

正直ライブで感じたことを、言語化することに意味はあるのか、これまで疑問でした。無理に言語化せず、本当は「とにかく楽しかった」「とにかく感動した」なんて言葉に、留めておきたいと思いました。

だけど、現場をじっさい目の当たりにして、来たくても来れなかった人たちがたくさんいることを知り、何より自分自身がそんな人からチケットを譲っていただけたこともあって。

正直なところ、こんな主観的で拙い文章表現でしか伝えることができない自分に、苛立ちすら感じます。だけど、どんなに雑で拙くてもいいから、ちゃんと言葉として吐き出しておくべきだと思ったんです。

初めて堂本剛さんの声を近くで聴いたのは、僕が高校生だったころ。彼が初めて奈良の薬師寺でライブをしたときのことです。

当時軽音楽部だった自分は、部活帰りにバンドメンバーと薬師寺の外にいき、彼の声の音漏れを聴きながら、いろいろと語ったことを覚えています。

あのときから10年ほど経ったいま、ふたたび奈良で、彼の声が、音が聴けて幸せでした。そして僕もまだまだ夢半ば。これからです。やるしかない。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。もしこの拙い文章が、すこしでも誰かの心に残れば、とてもとても嬉しいです。

今日はこれにておしまい。
それではまた!