「気の合う人、紹介するよ」の違和感。

どうも、佐田真人(@mst727)です。

先日ある方から、「気の合いそうな人を紹介するよ」、と言われた。嬉しかったし、会いたいと思った。だけど、同時に違和感を感じた。

「なんでこの人は自分のことそんなに知らないのに、合うかどうかなんて分かるんだろう?それになんで合うことが、あたかも良いと思われてるんだろう」と。

自分でもかなりめんどくさいと思う。だけどあなたの合うは、ぼくの合うとは限らないし、恋愛ならまだしも、ビジネス的な要素で合うと言われても、お互い顔を見合わせて「エヘヘ」と笑いあうのがオチだ。

 

合う合わないとかの関係性は、そう簡単なことじゃない、とも思う。だって自分自身がぜったい合わないと思ってた人たちが、結果的に仲良くなったことだってあるからだ。

たぶん、「なに」にフォーカスした合う合わないは、さほど意味がないのかもしれない。だけど、生き方や価値観のような「どのように」にフォーカスした合う合わないは、また別なんじゃないかと思う。

生き方や価値観で繋がれた人たちは、経歴ややってることがまったく違っても、不思議と分かり合えるし、信頼できるものだ。

そして価値観で繋がってる人同士は、おそらく合う合わないの話になっても、その生き方や価値観を見ている気がする。

だから彼らに「気の合いそうな人紹介するよ」と言われたら、喜んで会いたい。

 

先日の違和感は、結局その人を信じることができなかったから、感じたんだと思う。それぐらいだれかの「なに」は目まぐるしく変わるものだし、入れだけだと薄っぺらいんだと思う。

結局のところその人が信じるに値する人だったら、どんな人を紹介されても会ってみようってなったんだろうな。合う合わないって難しい。

いまものすごく酔ってます。とりとめのない文章だけど、許しておくれ。