過去の栄光なんかには縋りたくない。それでもたまには、あの時の自分を誇っていい日もある。

どうも、佐田真人(@mst727)です。

東京に来て二週間がたちました。前職の人たちや旅先で出会った人たちと、お話しする毎日です。

僕がいるときと立場や状況も変わっているんだけど、みんなの話を聞くとやっぱりホッとするというか、すこし寂しさを感じつつも、安心して話を聞くことができます。

そんな前職メンバーの飲みの席で、僕のやってきた仕事の話になったんですが、これまでの仕事内容を、褒めてくれた方がいました。

そのとき話してくださった仕事のお話は、自分でもやりきったと思えるところだったので、それを聞いてすごく嬉しかったんですよ。

基本的に自分の頑張りを尊いとは思わないし、過去の栄光なんかに縋りたくありません。それでもその言葉を聞いたとき、あのときの自分をすこしは誇っていいんだなと、やっと思えたんです。

これまでやってきたことを、わざわざ自分から言う必要はない

これまでやってきたことは、必要でもない限り、自分からわざわざ言う必要はない。過去やってきたことを語ることに、さほど価値はないなと、思っています。

情熱大陸やアナザースカイも、ふだん芸能人の方が口にしないことを、番組側が聞き出し放送してくれるから、見ていて面白いし価値がある。

だから、自分からなにかを成し遂げたと言っているあいだは、本当の意味で実績とは呼ばないんじゃないかと、思うんです。

自分の頑張りは尊くない

もっと言うと、日々の頑張りにも、同じことが言えるのかなと。

できることなら、頑張ってきたことは、だれかに認めてもらいたい。だけど、残念ながら世の中はそうじゃない。

何日も徹夜して頑張ったからといって、それが評価の対象になることはありません。だれがどれだけ寝ずに頑張ろうが、本人以外には、関係ありません。

頑張ったものが無に帰したときは、「これだけ頑張ったのに」と、言いたくなることもあります。だけどそれは、自分の頑張りを尊く思っているから、だと思うんですよね。

だから、頑張るのは当たり前、自分の頑張りを尊いと思うな、と考えます。

自分以外のだれかが賞賛してくれるとき

じゃあ本当の意味で、頑張りが認められて、実績になるときって、いつなんでしょう。

それはたぶん、自分じゃないだれかが賞賛してくれたとき、なんだと思います。

まったく結果を出せず、それでも頑張り続ける日々、やっとのことで結果が出せたとしても、自分が納得のいくものじゃないことも。

そんなことを延々と繰り返していくなかで、ある瞬間、やっと日の目をみることがあります。

もしかするとそれは、自分が忘れ去ったとき、なのかもしれません。

それでも、はじめてだれかが声をあげて、自分を賞賛してくれたときこそ、これまで行ってきたことが、本当の実績になるんだと思います。

最後に

これまでやってきたことは、たとえ周りが無関心を装っていたとしても、案外だれかが見てくれているものです。

だから僕も、だれかが頑張っているときは黙って手を差し出し、その努力が報われたときは、声をかけれるような人でありたい。

そんなことを思った、東京の夜です。

今日はこれにておしまい。

それではまた!