しずかな人に魅力を感じる理由。

どうも、佐田真人(@mst727)です。

いまインターネットは正論であふれています。ひとつの物事に対して、今日も正しい意見がつらつらとタイムラインに並びます。

だけど総じて感じるのは、どこか攻撃的だということ。そして思うんです、なぜ彼らは黙っていられないのかと

この感情はいまに始まったことではないけれど、そんな人たちの投稿を見るたびに、違和感を感じてしまいます。

感情の撒き散らし方に、潔さすら感じたかと思えば、なんて寂しい人たちなんだろうと、哀れんでしまう。

おそらく彼らと対面でお会いしたら、そんなキャラじゃないんだと思います。だから余計にそう思ってしまうのかもしれません。

そんなことを考えているとき、ぼくはしずかな人に魅力を感じるんだなと、あらためて思ったんです。

しずかな人は、感情の矛先に気を使える

しずかな人っていうのは、なにもうるさいとかうるさくないとか、そういうことじゃありません。

いまの段階でしっくりくる表現をするならば、「心の波音に耳をすませることができる人」。言葉をいちど咀嚼して話せる人のことです。

そういう人ほど、自分の言葉でモノゴトを語ろうとしてくれるので、安心して話すことができるんですよね。

たとえ反対意見であったとしても、相手を攻撃することなく、ちゃんと自分の言葉で発言してくれる。

相手を受け入れる余白を確保してくれているので、返ってくる言葉に身構える必要もありません。

そういう人は、感情の流れをわかっているからこそ、ふとした瞬間に自分を客観視できるんです。

つまり、どんなことで喜怒哀楽を感じるかを理解しているので、感情の矛先に気を使える人が多いんじゃないかなと。

精神的余裕は、心の波音に耳をすますことから

逆にそうじゃない人は、圧倒的に内なる声を聞けていない人、つまり自分と向き合う時間が、極端に少ない人なんだろうなと、思ってしまいます。

自分のことをいまその瞬間に見失ってしまうから、言葉を発する前にいちど受け止めてみる考えがないんです。

だから飛んできた球をキャッチすることなく、反射的にすぐバットを振ってしまう。たとえ自分の本心が別にあったとしても。

こっちがキャッチボールをしたくても、それすらままならない状況はやっぱり寂しい。だからこそ、まずは知ってほしいんです。自分自身が何に喜びを感じ、悲しみ、傷つくのかを。

しずかな人には凛とした強さを感じる

しずかな人は感情の流れを客観的に感じれる人、もっと言えば、痛みについて少なくとも考えたことのある人です。

そんな人は、外見問わず内側から滲み出てくる、強さを感じます。

だからぼくは、そんな強さに魅力を感じるし、ぼく自身も「しずかで強くありたい」と、思うわけです。

あとは、自ら考えることをやめないで行動を起こしていくこと、です。

参照:誰でも正論を振りかざせる、世の中だからこそ、いま改めて大切にしたいこと。

今日はこれにておしまい。

それではまた!