どうも、佐田真人(@mst727)です。
昨日こんなツイートをしました。
ぼくらは助けを求める前に、迷惑かけたらどうしようと思ってしまいがちだけど、そう決めつけてしまうことの方が、よっぽど相手にとって失礼なのかもしれません。
最後に「ありがとう」と全力で言えることが信頼の証だし、迷惑どうのこうのよりも、そっちの方が最高に素敵だなあと、思ったのでした。
— サタマサト|TOKIORI ☔️ (@mst727) June 10, 2018
この気づきは、ぼくがこれからも大切にしていきたい考え方でした。
今日は相手を頼ること、「助けて」と伝えること、についてのお話をします。
頼ることができない自分と向き合わせてくれた言葉
「申し訳ないなんていうなよ。友達だったら助けるのは当たり前だろ?」
だれにも迷惑かけまいとひとりでやろうとした自分に、友達はそう言った。その瞬間、「ああ、またやってしまった。自分の悪いクセだ」と思った。
やってしまったというのは、昔からひとりではなにもできないのにも関わらず、なにかと抱え込んでしまうこと性格のことだ。
「もっと俺を頼ってくれよ」
東京で働き始めたころ先輩に言われたことを思いだす。頼ることのできない、不器用な人間だった。そのせいで無愛想だと言われたこともあった。
あのころはなぜダメだったのか、理解してなかったんだと思う。それが今になってはっきりとわかる。頼れない、素直に「助けて」と言えない。それはそのひとを信頼してないことと同義だったのだ。
「大丈夫大丈夫」
「ひとりでできるよ」
ついそう言ってしまいがちな自分にとって、彼らの言葉は頼ることが怖かった自分と、向き合わせてくれたひとことだった。
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申し訳ない気持ちよりも、全力のありがとうを
ぼくらは助けを求める前に、つい迷惑かけてしまったらどうしようと、思ってしまいがちです。だけどそう決めつけてしまうことの方が、よっぽど相手にとって失礼なのかもしれません。
ぼくが逆の立場だったとしても、やっぱり頼られたい。頼ってくれないと、すこし寂しいなと思う。もしぼくの力が不十分で直接協力できなかったとしても、できるかぎりのことはしたいと思う。
迷惑かけるだろうなあと申し訳なさを理由に、相手の思いさえ聞くことができないのは寂しい。
やっぱり最後に「ありがとう」と全力で言えることが信頼の証だし、迷惑どうのこうのよりもそっちの方が最高に素敵だなあと、思うのです。
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最後に
「もしあのとき頼っていたら…」なんてことを考えるのはナンセンスなことですが、それでもあのとき素直に「助けて」と言えることができたなら、と思うことがあります。
だからこそぼくは頼ることが苦手なひとや、「助けて」という言葉が喉の奥につっかえて出ないひとたちに伝えたい。
頼ること、「助けて」と伝えることは、決して弱いことなんかじゃない。むしろとても強いことだ。
だからもしあなたがそんな状況になったときは、恐れず目の前のひとを頼ってほしい。助けを求めてほしい。
なにも心配する必要はありません。最後に、思いっきりの「ありがとう」を伝えればいいのだから。