どうも、佐田真人(@mst727)です。
すこし前に河野さん(@ryoxxx71 )が書かれたこちらの記事。Wasei Salon内でも共有いただいたのがきっかけで、僕も読ませてもらったのですが、「なるほど!たしかに!」と共感することが多かったんです。
“僕の原動力はいつだってこういう”反動”的な精神だったかもしれない。”
自分の根源的な原動力ってなんだろ。自分に負けないこと?だれかのありがとう?できないことができるようになること?
僕は"反動"に取り憑かれている|カワノ @ryoxxx71|note(ノート) https://t.co/h4C31kkaYY
— サタマサト|TOKIORI ☔️ (@mst727) April 24, 2018
河野さんは記事の中で、若者マウントは過去の体験の反動からくるものなんじゃないか、そしてその”反動”的な精神こそが自分の原動力なんじゃないかと、書かれていました。
そのときに自分も若者マウントを積極的にとっていた時期があったなあと思ったり、「自分の原動力って一体なんだ?」と改めて考えさせられました。そしてその根底にあるのは「弱さ」なんじゃないかと。
今日はそんな自らの弱さについてのお話です。
若さを武器にマウントをとっていたときの真意
若いときは誰でも尖ってるときってあると思うんですが、河野さんの記事を読んだときに思い出したのが、自分もよく若さを武器にマウントとっていたことがあったこと。
特に大学生の頃からfacebookをやるようになり、よくマウント投稿していたことを思い出しました。社会人になってもその名残を見受けられる投稿がいくつかありました。
満員電車で消耗しない基本姿勢は「受け流す」。物理的なものも精神的なものも。心は仏のようにがベスト。
— サタマサト|TOKIORI ☔️ (@mst727) August 5, 2016
このツイートの前には「よく満員電車の中でキレたり、ぶつかってきたりするオトナがいるけど、一番消耗するの自分やで?」という前置きが含まれていたはず。このツイートがきっかけに書いたこちらの記事なんかは、そんなオトナたちに向けて書いたものなのかもしれません。
>>感情のコントロールができない人は、まず暮らしの余白を意識するべきだっていうお話。
じゃあなぜ若さを武器にマウントをとっていたのか。もしかすると中学時代に感じた「オトナへの絶望感」が関係しているのかなと。だけどなにかの折でその攻撃性が増したとき、自分自身がその”オトナ”に近づきつつあることに気づいたんです。
そして自分がものすごく弱いからこそ、他人を比較してしまっていることにも。そう考えると最も根底にあったのは、自分の弱さなのかもしれません。自分の弱さを隠すための防衛本能みたいなもの。
それ以来だれかを否定することをやめて受け入れるようになり、自分は「どうありたいか」を考えるように。とくに社会人になってからは自分が変わらなければ周りは変わらないし、行動を伴わない口だけの正論にはなんの意味もないことを痛感しました。
それからというもの、どれだけ小さくてもいいからまずは行動を起こすことを、心がけるようになりました。
スポンサーリンク
僕の原動力は「弱さ」からくるもの
じゃあ自分が行動するときの原動力って一体何なのでしょうか。
誰かにありがとうと言われたり、喜んでいるのを見ると嬉しくなる。できないことができるようになりたいという気持ちも、原動力のひとつなのかもしれません。
いろんな原動力があると思うんですが、その中でも一番強い原動力はなにか。そう考えたときに出てきたのは、「自分に負けない気持ち」でした。
僕は昔からだれかとの比較や競争が苦手で、闘争心剥き出しの競争社会には全く向いてなかった。
だけど自分には負けないという気持ちが人一倍強かったんです。やりきると決めたあとに辛いことがあっても、自分にはできないと逃げることだけはしなかった。
自分が他の人より弱いことを自覚しているからこそ、「ここで逃げたらなにも残らない」という気持ちが強かったのかもしれません。
それは過去に逃げた自分への後悔からくるものでもあり、精神的に逃げた先に見える世界が決して明るいものじゃなかったからこそ、言えることなのかなと。
もし自分がマイナスに陥ったとき踏ん張れる原動力があるとするならば、それは弱い自分だからこそ引き下がれない「自分に負けない精神」なんだと思います。
スポンサーリンク
最後に
いろいろと書いてみましたが、共通するのはどうやら「弱さ」。僕はストレングスファインダーで「共感性」が一番高いのですが(もう4年も前のものですが)、それも弱さが大きく関係していそうです。
弱さは一見ネガティブな印象を持たれがちなんですが、弱い人間だからこそ成せる生き方もたくさんあるはずだと、これまで生きてきていろんな状況でそれを感じました。
そして自分が弱い人間だからこそ、誰かの力になれたこともあるはず。今回のお話がもし誰かの力になれるなら、それは同じ弱さを持った人たちなのかもしれません。
もし同じような方がいらっしゃいましたら、何かしらの参考になれば幸いです。
今日はこれにておしまい。
それではまた!