一人旅の些細な幸せと退屈【タイ・チェンライ】

ミャンマー・ヤンゴン国際空港から半日もせず、次の目的地である「タイ・チェンライ」に到着した。チェンマイと名前は似ているけれど、チェンマイより小さく、主要な観光スポットを巡るだけなら、3日もあれば十分な田舎の町だった。

「なぜまたタイに?」

そう、予定通りなら今ごろベトナムにいるはずなのだけれど、やっぱり一人旅はそう思い通りにいかないらしい。じつはミャンマーに行く前日、MacBookが壊れてしまったのだ。

「キーボードぜんぶ変えないといけないので、最低でも2週間はかかります」

チェンマイの修理屋さんから確かにそう言われたが、相棒を失ったまま旅を続けることはできなかったので、すぐにチェンマイの修理屋さんにPCをあずけることにした。

そしてミャンマーに1週間、チェンライに1週間というスケジュールで旅をすることになったのだ。

 


 

タイのチェンライ国際空港に着き、さっそくタイティーを購入する。久しぶりに味わうタイの甘さが妙に嬉しい。心なしか町並みはとてもきれいに見え、どこか見慣れた風景にホッと安堵した。

チェンライで過ごす日々は、ミャンマーでの生活から一変し、穏やかさに包まれていた。

朝起きたらまずは顔を洗い、朝食を食べにテラスへ向かう。旅人の中でも比較的あさ早くに朝食へ向かったはずだったが、すでに数人の旅人は朝食を食べ終え自由な時間を過ごしていた。

家族で会話を楽しむ人、コーヒー片手に読書する人、黙々とトーストを頬張る人。顔を合わせて「おはよう」と笑顔で声をかける。重かったまぶたも軽くなり、コーヒーを飲む頃にはすっかり眠気は冷めていた。

軽く朝食を済ませると、まずは散歩に出かける。はじめての街に来て最初にすることは、居心地の良いカフェを探すこと。前もってGoogleマップに登録していた、気になるチェンライのカフェリストを開き、一番近くにあったカフェへ向かうことにした。

チェンライにはチェーン店が少なく、馴染みがあるのはコンビニぐらいだった。チェンマイのレストランやカフェのように、決して目立つわけではない。だけどこじんまりとした、気品の感じられるお店があった。

訪れたことのないお店の扉を開けるときは、ほんのすこしばかり緊張する。だけど笑顔で挨拶されると、「あ、入ってよかった」と緊張が和らぐ。まだ学生らしき女の子二人の店員さんが「どこから来たの?」と尋ねる。

この出だしから始まる会話は、もう数え切れないほどした気がする。「今日はいい天気ですね」並みのキャッチーな会話の入り口だけど、どこの国に行ってもこのフレーズは必ず聞かれるものなんだろう。

次のお客さんが入って来たタイミングで、キリの良いところで会話を終え、奥のテーブル席に腰をおろすと、まだ開いてなかった本を読み始めることにした。

 


 

チェンライではふたつ楽しみにしていることがあった。ひとつは「ホワイトテンプル」と呼ばれるアートスポットにいくこと、もうひとつはタイで一番美味いといわれている「カオソーイ」を食べることだ。

ちなみにこのふたつの情報は、チェンマイで出会った旅人に教えてもらったものだ。本やネットに載っている情報も参考にするのだけれど、旅人が教えてくれる生きた情報は、そのたぐいのどんな情報よりも「行きたい!」と思わせてくれた。

(ここでのお話はまた次回)

今日の夜はナイトマーケットに寄ってから、今朝宿のオーナーが教えてくれた、屋上のルーフトップバーに行ってみようと思う。お酒を飲むとすぐ眠たくなるし、一人だと滅多に飲まないのだけど、たまのたまには一杯ぐらいいいだろう(眠たくなったらすぐに寝れるのだから)。

 


 

p.s. PCがなかったあいだ、毎日簡単な日記を、スマホにメモっていた。そのときの記録を忘れないように、ここに残しておこうと思う。

起きたい時間に起きて、朝食を心ゆくまま楽しんだら気ままに街を散歩し、気になったカフェに入る。些細な生活のひとつひとつが、どこか懐かしく幸せに感じられた。

こうしてのんびりと終わっていくチェンライの一日に、最初は幸せを感じてたものの、三日もすればそれは退屈と同等の意味を持つようになった。「退屈」というとすこし語弊があるのかもしれない。たしかに心身ともに楽しかったし、リラックスもできてるはずだった。

それでもどこか本当の意味で、楽しめてなかったんだと思う。ずっと上の空なことが多くなった。

のんびりとした時間(≒暇)というのは、心の持ちようによっては、リラックスと真逆の意味を持つようになる。「暇な人は無駄によく悩むんだよね」という話をよく聞くが、いままさにその状態になってる自分が、ひどく情けなかった。

「なんともいえない負の感情と付き合いながら旅をするのも、一人旅の醍醐味である」、そう自分に言い聞かせ、あまり気にしないよう、毎日を過ごすことにした。