大人になるということ。

きのうは成人の日だった。

奈良はあいにくの雨だったけれど、自分のときもこんな天気だった気がする。たしかスーツを着て出席したはずだけど、そのときのことをあまり思い出せなかった。

覚えているのは会場内でだれかが飛ばした罵声に呆れたこと、数年ぶりに小学校時代の先生とお会いしたこと、かつての同級生とあたりざわりのない会話をしたことぐらい。

成人式は、大人になったことを自覚するための儀式のようなもの、とある。もし本当にそうならば、むしろ一部の人間は子供に逆戻りしてるんじゃないか、と思ってしまった。

「これからは大人だ!」とポジティブな意識を持とうと出席するも、結局のところあの頃のぼくにはどこか難しいものがあったんだと思う。そもそも大人になるってどういうこと、と聞かれてもすぐに答えれそうにはなかった。

いつの間にか「責任」や「義務感」みたいなものはついてまわるけれど、それがちゃんと大人になったということなのかと思うとすこし違った。

とある会話を思い出す。

「佐田って、意外とあきらめ悪いとこあるよな。頑固やし」

「え、でもそんな簡単に諦めれるものなんですか?例えばやりたいこととか」

「俺は自分のやりたいこととか、割と早めに捨てたなあ。あっさり違う幸せ見つけたね」

昼食中に会社の先輩と交わした何気ない会話だったが、この潔さが大人になることなのかもしれないと、ふと思った。

「あきらめ」とはなにかに対する逃げだったり、どこかかっこわるいものだと思っていた。だけどそのときはそんな感じもせず、むしろかっこいいものだと思えたのだ。

歳をかさねるにつれて、いままで抱えてきたものを取捨選択するような場面に、出くわすことがある。自らの諦めと対峙し、いままで背負ってきたものを降ろし、受け入れる瞬間だ。

これまでとこれからの自分どちらも受け入れ、ひとつひとつ噛みしめながら前を向いて生きていく。そんな点ではない線のことを、大人というのかもしれない。

そう考えると、自分はまだまだ圧倒的こどもだなあと思う、今日この頃です。

今日はこれにておしまい。
それではまた!