つい言ってしまう「奈良っぽい」を言語化してみた

つい言ってしまう「奈良っぽい」を言語化してみた
2017年1月14日
むかしからよく「奈良っぽい」という言葉を使う。建築を見て奈良っぽい、料理を見て奈良っぽい、服を見ても奈良っぽい。ぼくが奈良生まれだからか、自分の心を動かすなにかを、「奈良っぽい」と表現することが多い。

それぞれ意味合いは異なるはずなのだけど、奈良っぽいの一言で完結できる便利さに甘え、つい使ってしまいます。

先日、とうとう「奈良っぽいって何ですか!」と突っ込まれたので、今日は備忘録がてら、自分が思う「奈良っぽさ」について書き残しておこうと思います。

奈良っぽいを使い始めたきっかけ

奈良っぽい。自分の中ではとても便利な言葉なんですが、いかんせん相手に伝わらないことが多い。ただ不思議と奈良出身の人には分かってもらえることがある。

記憶を辿ると、奈良っぽいという言葉を使い始めたのは高校生の頃。ちょうど奈良の良さに気づくことが増えたときだった。

とくに何もないけれど、緑が豊かなところ。どこか不器用だけど、憎めない雰囲気があるところ。上を見上げると、空が近いところ。夜はどこか、寂しく感じるところ。

最初は奈良の良いと思った風景と重ねて「奈良っぽい」と表現していたものが、いまは随分と多くの意味を含むようになった。

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奈良っぽいの意味を言語化してみる

懐かしい、おしゃれ、ミニマム。表層的にはそんな感じの意味合いを持ってると思うのだけど、本当はもっと奥行きのある言葉のような気がする。

奈良っぽいとは、決して煌びやかな美しさではないけれど、もっと洗練された、何もないところから生まれる美しさのようなものだと感じる。

例えるなら、千利休の「侘び寂びの精神」。表層だけでは語れない、無駄なものをそぎ落とした先にあるものという印象。

「おしゃれ」という表現の仕方も間違いではない。ただこれだとちょっと直接的すぎる。物質的な話ではなく、空気感や佇まいなど、実態を伴なわない内側の話なんだと思った。

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奈良っぽい人に憧れる

ぼくの言う奈良っぽいは、モノだけでなくヒトも対象に入る。憧れを感じたり尊敬している人たちは、総じてこの奈良っぽさを纏っていたりする。

例えば東京を歩いていると、奇抜なファッションの方がいたとする。個性的な服を纏っている人だ。これをおしゃれと感じることはあるかもしれないが、「奈良っぽい」とは思わない。

たとえ表面上おしゃれであっても、その人特有の佇まいが感じられなければ、奈良っぽさにたどり着くようなことはない。

たとえシンプルな装いであったとしても、その人から感じられる個が、立ち振舞や装いと同調している人。センスなんかもまさに、その類のものなのかもしれない。そういう人に憧れを感じるし、そこにとても奈良っぽさを感じる。

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最後に

決して表面的なものではない、何もないところから生まれる美しさ。それはモノやヒトのあるべき姿を問うときに、表現したくなるのかもしれません。

結局のところ自分にとって、相手にはあまり通じないけれど、自分の中では納得感のある、とても都合のいい言葉なわけです。

そしてまた、自分の心を動かす何かと出会ったとき、懲りもせず言うのでしょう。「奈良っぽい」と。もし僕の口からこの言葉が出たときは、「奈良っぽいって何ですか!」とぜひ突っ込んでみてください。