「染まって暮らして」のくり返しが、生きることなんじゃないかっていうお話。

どうも、佐田真人(@mst727)です。

「染まる」という言葉が好きです。自分でもなぜ好きかはよくわからないのですが、ずっと頭に引っかかってる言葉なんですよね。

時の流れを感じるというか、流動的な言葉に惹かれてしまいます。そうこう考えているうちに、心当たりのある場面がひとつありました。

今日はそこから「染まる」について、お話を拡げていこうと思います。

 

関西に帰ったときのお話

「東京に染まったなあ…」

久しぶりに関西へ帰ってきたら、会う人会う人に十中八九言われること。「染まってへんわ!」となぞの抵抗をするも、ときおり出てしまう標準語。

そんな一連の流れを体験して、こんなにも簡単に、染まっていくものなのかと。そしてもしかしたら、それが暮らすってことなんかもしれない、と思ったことがあります。

東京にはじめて来たとき、最初は違和感を感じていた標準語も、環境に染まりはじめ、暮らしが根付きはじめた頃には、すっかり身体に馴染んでいたんです。

当たり前といえば当たり前のことなんですが、そう感じた瞬間はなんだかとても新鮮で、「そうか!染まって暮らす、この繰り返しが生きるってことなんじゃないか」と妙に腹落ちしました。

慣れない環境に染まって、そこに自分の暮らしをかたちづくっていく。暮らしといえばすこし大層に聞こえるかもしれませんが、慣れない環境に染まってできないことができるようになる。

そう考えれば、「コンフォートゾーン」のお話にも似ているのかなあと思います。こうして自分の暮らしの圏内を拡げていく過程にこそ、生きる喜びがあるのかもしれません。

旅にも同じことが言えるのかも

この感じ、旅にも同じことがいえるのかなあと。

非日常の空間に飛び込み、最初は戸惑いながらも、その空間に自分の居場所を形づくっていく。試行錯誤しながらも過ごす日々の中で、毎朝のルーティンが決まったり、毎日訪れる場所ができてくる。

そこから徐々にその街の人たちと繋がりができて、いつの間にか自分の暮らしの圏内ができあがっている。そんな非日常の中に日常を創り上げていく過程にこそ、ぼくは旅の醍醐味を感じるのだと思います。

普段の日常生活では見えにくいことが、長期間旅をすることでより色濃く見えてくる。そうして日常と非日常の生活を行き来することで、普段見失いがちな”なにか”をちゃんと感じ取れるのかなあと。

最後に

だからこそ、染まって暮らしてを繰り返す過程にこそ、これからの生きるヒントがあるのではないかと考えています。

「東京に染まったなあ…」の話から随分と飛躍してしまいましたが、備忘録がてらに書き残しておきました。

今日はこれにておしまい。
それではまた!